一人と一匹だけの午後。


幸村がいないことに気付いたのは、ふと玄関へと目を向けた時だった。
いつもは鍵をかけているはずのドア。
どんな器用な手を使ったのか、玄関のドアには子犬一匹通れる程の隙間が僅かに空いている。
そして外に続く小さな足跡。
まぎれもなくそこには脱走の痕跡がくっきりと残っていた。



「だぁああっ!閉め忘れてやがる、Goddamn!」



部屋一帯に響く絶叫。
小十郎が聞いたら確実に小言を言われるだろう暴言を吐き、
政宗はドアを蹴破る勢いで飛び出した。





同時刻、小さな庭のあるマンションの1階。
管理人である信玄は茶色い毛玉との遭遇を果たしていた。

いつものように鍛錬を終えた信玄が、部屋へ戻ろうと向きを変えた時、
足に感じる柔らかい感触と共に、キャンという甲高い鳴き声を聞いた。



「・・・・・・む?」



思わず足元を見た信玄の視線の先には、
尻尾を踏まれ、きゅんきゅんと鼻を鳴らしベソをかく幸村の姿があった。



*         *         *         *



「うーむ見たところ野良ではなさそうだ・・・どこぞの飼い犬が迷い込んだかのう・・・?」



数分後、信玄の居間では、信玄が腕組みをしながら腰を下ろし、
その前では幸村がちょこんと腰をおろし信玄を見上げていた。
見上げた先の信玄は思案顔をしながら、果たしてどうしたものかと考えをめぐらせていた。



「何か手がかりになるものがあればのう・・・」



そう呟き、信玄は幸村を抱え上げ身につけているものから手がかりを探そうとする。
茶色い毛色に、赤で統一された服。
子犬は毛並みも良く、着ている衣服からしても十分に行き届いた世話を受けていることが見てとれた。
しかし手がかりになりそうなものは見つからず、当てが外れたと溜息をつく。



「ふーむ、せめて名前だけでもわかれば・・・」



信玄がそう一人呟いた時だった。



「ゆきむら!」



先刻まで何も言わず事の成り行きを見ていた幸村が、
その言葉を待っていたかのように得意げに声をあげた。
すると案の定、その声を聞いた信玄の動きが止まる。



「・・・・・・・何?」



聞き間違いでなければ、今のは確かに目の前の子犬から発せられたものだ。
しかしそんなことが起こるはずもない。
信玄は只々驚きの表情で目の前の子犬を見据えていた。



「ゆきむら!!」



自分の耳を疑う信玄に、幸村は再び声をあげる。
どうやら自分の自己紹介がよく聞こえなかったと感じたのだろう、
先ほどより大きくはっきりと幸村は名乗ってみせた。
犬が人語を喋るという状況に、信玄は腕を組んだままの状態で固まっていた。
一方幸村はキチンと名乗れたことに満足しているかのように、自慢げに尻尾をパタパタと振ってみせる。

その得意満面な笑顔に、しばらく黙していた信玄は次の瞬間豪快に笑い出した。



「犬が喋るとはな・・・おぬし何とも粋な犬よの!!!」



膝を叩いて笑う信玄は、幸村の小さな頭を大きな掌で撫でた。
撫でられた幸村は嬉しげに目を細め、尻尾を千切れんばかりに振る。



「うむ、気に入ったぞ幸村!」



すっかり機嫌を良くした信玄に、幸村も自然と懐いていく。



「そうじゃ幸村、おぬし腹は減っておらぬか?」



信玄の問いにこくん、と幸村が頷く。
それを見た信玄は、後で食べようと買っておいた傍らの団子を差し出した。



「ほれ、これをやろう。腹ごしらえをしたら儂がおぬしの主を探してやる」



団子、というものを幸村はこれまでに見たことがなく、
目の前に差し出された団子に興味深げそうに首をかしげる。



「何じゃ、団子を知らぬのか?」



「だんご?」



「美味いぞ、食うてみよ」



耳慣れぬ言葉を聞き返す幸村に、信玄は手にしていた団子を幸村の手元へ渡す。
両手でそれを受け取った幸村は、恐る恐るゆっくりと団子に噛り付いた。



「どうじゃ、美味いか?」



団子を口にした幸村に信玄が尋ねる。
しばらく黙って団子を味わっていた幸村だったが、
突然顔を上げて尻尾を振ると、満面の笑みを浮かべて一鳴きした。



「そうか美味いか!!」



幸村の笑みにつられた信玄が破顔する。
最早完全に打ち解けた二人の間には穏やかな空気が流れていた。
美味そうに団子を頬張る幸村を、信玄は満足げに眺めていた。





「それではおぬしの主を探すとするか」


幸村が団子を食べ終えるのを待って信玄が立ち上がる。



「さておぬしの主は何というのかのう?」



喋れる犬ならば都合がいいと信玄は幸村に尋ねる。



「ましゃむねー」



「政宗?おおそうか、上の階の小倅か。」



聞き覚えのある名を耳にした信玄は合点がいったように頷くと、幸村を抱え上げる。
子犬を送り届けようと玄関へと向かった信玄がドアノブに手をかけた瞬間、



「幸村ぁああー!!!」



外から激しい足音と共に政宗の絶叫が響いた。



「ましゃむね!」



「・・・・そのようだのう」



扉の内側では一人と一匹が互いに顔を見合わせた。





その後、この一人と一匹の間には「おやかたしゃま」「幸村」で呼びあう程の仲が出来たという。





*Episode5へ続く*

運命の出会い(笑)
しかしすっかり幸村が不思議生き物ですね、面目ない(土下座)
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