「ゆきむら!」



「おーすげぇ、本当に喋るぞ!」



それはある日の夕暮れ時、マンションの一室。
元就が帰宅し、ドアを開けると部屋の奥から二つの声が聞こえてきた。
一つはもう一人の住人である元親だが、
もう一つ聞こえてくるのは、聞きなれぬ幼い声。



「俺は元親ってんだ、もとちか」



「もとちか!」



「おう、えらいぞ幸村!」



リビングには元親と耳の生えた子供、ではなく子犬が共に戯れていた。
たどたどしいながらも言葉を発する子犬を見て、
なんという面妖な光景だと、その様子を眺めていた元就に元親が気付く。



「お、おかえり元就」



「もとなりー」




「・・・・何をしているのだお前たちは」




未だ混乱している元就を、やけに和んだ空気の二人が出迎えた。




*         *         *         *




「・・・それで、そやつの主人が留守の間家で預かることにしたわけか」



それから数分後。
団子と茶がそれぞれ一組ずつ置かれた食卓、
それを隔てて正座する元親と、
元親の膝に乗った幸村とを交互に見ながら、元就は合点する。
先ほど対面したばかりの子犬は、膝の上で元親に貰った団子をほおばっていた。

見れば見るほど変わった犬だと、幸村を見据えながら、
突然このようなものを預かってきた元親に、元就は苛立ちの視線を向ける。



「い、いやあ、どうしてもって言われて断れなくってよ・・・」



その視線にいち早く気付いた元親が、慌てて言い訳をする。



「ふん、どうせ物珍しさにひかれて引き受けたのだろう」



しかしそれを物ともせず元就が吐き捨てる。
恐妻家という住民たちの噂に違わず、その全身からは苛立ちのオーラがにじみ出ていた。



「う・・・おっしゃる通りです・・・」



図星をつかれた元親が頭を垂れる。
普段からカラクリだのなんだのと、妙なものに興味を示す元親だったが、
それを思えばこの犬に興味を抱いたのは当然の流れかもしれない。
喋る犬と聞いて顔を輝かせたであろう元親の様子がありありと浮かび、
元就はありったけの苛立ちをぶつける様に、深く溜息をついた。



「・・・ま、まあきっと元就も気に入ると思うぜ!?」



じわじわと苛立ちを募らせる元就の機嫌をとるように、
元親は大袈裟な身振りでその場の空気を取り繕うとする。
怒りの頂点に達した元就の怖さは半端なものではない、
結婚してまもなくで自らの身の破滅を招くことは避けたかった。



「我は知らぬ、勝手に預かってきた以上貴様が面倒を見ろ」



「あ、ああ・・・・」



とりつくしまもない元就に、元親が肩をすくめる。
だが元就の怒りがこの程度で収まってくれたことには内心一安心ではあったが。



「もとちかー」



その横で今までの成り行きを傍観していた幸村が声をあげた。
元親の膝をペシペシと叩き何かを催促しているように見上げる、



「おっと晩メシの時間か?今用意してやるから待ってろよ」



物欲しげに鼻を鳴らす幸村。
その様子から察した元親は、幸村の頭を一撫でして立ち上がると台所へと向かった。



「元親、」



「ついでに夕餉の支度もな」




あぁ今日は逆らうことは無理そうだ、
そう元親は一人痛感した。




*         *         *         *




リビングに残った一人と一匹。
一人茶を啜る元就と、その視線の先をちょろちょろと動く幸村、
どちらも一言も発することなく、妙な間がリビングに流れていた。


絶えず動き回る幸村が時折元就の目に止まる。
目の端に感じるそれからなるべく目を逸らそうとする元就だったが、
そのせわしない動きはどう努力しても視線に入ってくる。



「………」


「………」



無言を貫き通す元就、
その少し横で一人遊びに夢中になる幸村。
しばらくは自らの尻尾を追いかけ遊んでいた幸村だったが、
ふと元就に目を向けるとその動きを止めた。




その気配に元就が僅かに視線を移すと、
そこにはじっと元就を見上げる幸村の目があった。



「………」


「…………」



見事にかち合う互いの視線。
真っ直ぐに見上げてくる幸村の視線に、冷静な元就も思わず視線を背ける。
しかし目を逸らしていても幸村の視線はひしひしとその身に感じられた。



「(知らぬ、我は知らぬぞ…)」



いつの間にか題目のように内心で唱える始める元就。
その平常心はだいぶ崩れ始めていた。




こやつが早く他に興味を移してくれれば…


そう願う元就の服の裾を何かが引っ張る。
振り向くと幸村が元就の膝に手を置き、何かを訴えている。



「もとなりー」



そう言って必死に短い腕を伸ばす幸村、
一体何かとその伸びた腕の先に元就が目をやると、
先ほど元就が食べずにそのままでいた団子の乗った皿があった。



「…………?」



「もとなりー」



「…これが欲しいのか」



今度は更に背伸びをして腕を伸ばす幸村。
その先の団子をちらと見た後、元就は串の端を持ち上げ幸村に見せる。



「だんご!」



目の前に団子が見えた瞬間、幸村が声を弾ませる。
やはり目当てはこれであったらしい。



「欲しいならお前にやろう、我はいらぬ」



そう言うと元就は団子を幸村の目の前に差し出した。
差し出された団子と元就を幸村は一瞬交互に見やったが、
貰ってもいいことが分かると、満面の笑顔でそれを受け取った。



その笑顔に、何か日輪を拝んだ時のようなときめきを元就は感じた。




*         *         *         *




「おーいメシできたぞ、…っておぉおおい!?」



再びリビングに戻った元親が奇声をあげる。



「ふん、随分と遅かったな」



「もとちかー」



元親の前にはリビングに座る元就、
元就の服の胸元にしがみ付いてじゃれる幸村がいた。

先ほどとはまさに打って変わった親密っぷりに、
驚きと羨ましさの入り混じった叫びがあがる。



「おい何でそんな懐いてんだ羨ましい!いや寧ろそこにいる幸村が羨ましいぜ!!」






もちろんこの後、元親に元就の鉄拳が炸裂したのは言うまでもない。





*Episode6へ続く*

実はエピソード中これが一番書きたかった(爆)
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