彼の部屋のドアを開けた時、それが全ての始まりだった。



“ハワード・リンクの監査記録より”



***



長官への報告手続きを済ませた後、
教団の長い廊下を抜けて、食堂横のウォーカーの自室へと戻る。

時は夕食の少し前。
部屋に戻ればいつも通り、空腹に痺れを切らした彼がいるはずだった。
しかしその日はいつもと様子が違った。


扉を開けたがウォーカーの反応はない。
空腹時にも関わらず大人しい彼に、
珍しいこともあるものだと首を捻り部屋へと足を踏み入れた。



「ウォーカー」



もう一度、その名を呼ぶ。
部屋へ入った先には、寝台の縁に腰かけた彼の姿があった。
背中を見せたままの彼に近づき、更に声をかけようとした瞬間。
ようやく振り返った彼が口を開く。



「あれー帰ってたんですかぁ?“ハワード”」



振り向き際の一言、
それが最初に感じた違和感の正体だった。




ハワードという呼ばれ慣れぬ自分の名、
それが更に意外な人物から出たることに暫く言葉を失う。
その名を呼んだ当の本人は、唖然とする私を見て首を傾げていた、

これは新手のイタズラなのだろうか、
もしくは科学班の怪しげな発明品のせいか?
考えれば考えるほど複雑になる思考。
混乱する頭に思わず目を伏せた瞬間、ウォーカーの傍にある物を見つけた。


床に横たわる洋酒のボトル。



「………」



「ウォーカー、もしかして君はアレを…」



おそるおそる呟く私に、
彼は目の前で底抜けに明るい笑顔を見せてくる。
それが正解の印だった。



察するに。
ウォーカーの自室は食堂の横にあり、
大食いの彼にとっては恰好の環境である。
恐らく今も空腹に耐えかねて余り物のボトルを失敬してきたのだろう、
まさかそれが酒だとは気づかずに。


混乱している頭が不思議と冷静な分析をしていた、
などと感心している場合ではなかった。



「どうしたんですかぁハワード、さっきから難しい顔して?」



顔色はいつもと変わらないが、
ふわふわと笑うウォーカーの様子は成程、確かに泥酔のそれであった。
監視下にあるウォーカーが、酒を誤って飲んで泥酔しているという事態、
しかもウォーカーは未成年である。
自分は何としても穏便にこの状況を収めなければならない。
しかしこんな状態のウォーカーを前にして何をすればいいのか、
全くといっていいほど思いつかない。


そんなことを考えている間に、ウォーカーの暴走は進んでいく。



「そんな顔してると、いつも怖い顔が余計怖いですよぉ?」



「…誰のせいだと思ってるんですか、全く…」



とうとう頭痛までしてきた。
先ほどから何を言ってもウォーカーはこの調子で、
全くこちらの言う事を聞きはしない。
ひたすら笑い続けてこちらの言う事を受け流され、最早お手上げ状態だった。



「ほら、そんな顔しないで下さいよー」



そんな私にウォーカーがおもむろに立ち上がる。
その時、先ほど自分の頭に浮かんだ考えを激しく後悔した。

酔いで気の高揚した彼は、自分の方へ近付いてくる。
そして事もあろうにその腕を私に絡めてくると、
更に顔を思いきり近付けてきたのだった。



「…っウォーカー!!!」



「へ?何ですかぁハワード」



「何ですかじゃありません、顔が近…それに腕!!!」



思いきり近くに感じる彼の顔と、洋酒の甘い匂い。
それに普段接近したこともないような距離で迫られ、動揺せずにはいられない。
先ほどの言葉は前言撤回、
まだヘラヘラと笑っているだけの方がマシだったと、今更後悔したが遅かった。



「楽しくいきましょうよ、ねぇ?」



「こんな状況で楽しいのは君だけですよ…」



必要以上に擦り寄って来る彼を、
顔を背けて回避し、同時にどうにか彼を解こうとする。
これ以上密着されては私の心臓が持たない、
いやもう既に限界に近いと言っていい。


そう思い彼に向き直ったのがいけなかった。
背けていた顔を彼に戻した瞬間、
タイミングを見計らっていたウォーカーがその顔を思いきり近付けたのだ。




瞬間、唇に触れた感触に全ての時が止まった。




「うぉ…ウォーカー…」



「少しは元気出ましたぁ?」



ようやく口を開くと、すかさずウォーカーが満面の笑顔を向ける。

本人は酔った勢いで景気づけのつもりなのだろう、
しかしこちらの胸中は大惨事だ。
おかげで体も動かず、
もう彼を振りほどこうという気さえ起きない。



「これでパーっと騒げますよー、良かったですねぇハワード」



楽しげにはしゃぐ彼と、その横で呆然とする自分。
最早抵抗する気の無くなった私は、彼の問いかけに無気力に答えるしかなかった。

すると突然、腕に寄りかかっていた彼の体が重くなった。
咄嗟の事に驚き彼の肩を掴んで、その体重を支える。
さっきまで騒いでいた彼は嘘のように静かになり、私の肩にもたれ掛かっていた。



「……ウォーカー?」



恐る恐る声をかけると、返ってきたのは小さい寝息。
顔を覗き込むとその瞼はかたく閉じられ、
口元は笑顔を浮かべたまま完全に眠りの世界へと入っていた。




結局、
あれだけ騒ぎを起こした元凶は以外にもあっさりと陥落した、
残された自分の心に動揺と衝撃を残して。



***



翌日、昨日の記憶が抜けたウォーカーは、
謎の頭痛と私の小言に襲われる事になった。



“ハワード・リンクの監査記録、追記より”







(Fin)


前回のチャットで出たお酒ネタをアレンジしましたー。
にしてもどんなに頑張ってもリン←アレみたいになってしまう…
リンクの甲斐性なしー!←

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