風が吹き抜ける。
冷たい、身を裂くような風



春の訪れはまだ遠い――





欄干の上から望む空は重く淀んでいた。
今にも雪の降り出しそうな空。
冬の盛りを迎えた冷寒な空気が、窓際に佇む元就の頬を掠めた。


「そんなとこに突っ立ってると風邪引くぞ」


部屋の奥では火鉢に手をかざす元親がいた。
冬の寒さの増すここ数日だったが、今日の冷え込みは一段と厳しかった。


「何を眺めてんだ?」


欄干に佇んだままの元就を元親は肩越しに振り返る。
緑糸の衣を纏ったその後姿。
その姿は何処か凛とした空気を帯びていた。


「空を見ていた、・・・雪の降りそうな空をしていると思ってな」


「雪か・・・そりゃどうりで寒いわけだ」


開いた襖から入り込む風に元親は首をすくめる。


「なあ、いい加減襖閉めてくれよ、部屋が冷えて仕方がない」



時は夕刻。
薄暗くなり始めた色町に吹く風は次第に寒さを増してきていた。


襖にかけた手に冷たさが伝わる。



いつ頃からか、欄干から臨む町の移ろいを眺めるのが元就の常となっていた。
冬の風が吹こうとも、廓に足を運ぶ人の勢いは衰えない。
しかしその賑わいも廓の楼閣からは、彼処に漂うくすんだ様な気配を隠しきれはしない。
変わらぬように見える風景も、ここからは何時も異なった顔を見せる。
単調に時が過ぎていく遊郭の暮らしの中では、この欄干からの眺望が自身に訪れる数少ない変化だった。



そんなことを思いながら、襖を閉めようとした時。


にゃあ、という鳴き声が欄干の襖を隔てた向こうに聞こえた。
そこにはまるで今日の色町を包んでいる空気のような、くすんだ灰色の猫がいた。


欄干にせり出した瓦づたいにその猫は来ると、今閉じられようとしていた襖を抜け居間へとその身を滑り込ませた。


「欄干から断りもなしに来るとは・・・・まるで貴様のようだな」


部屋の隅に腰を下ろした猫を横目で見、
元就は座敷の一隅に座る元親に皮肉を浴びせる。


「まあいいじゃねぇか少しくらい。この寒さだ、猫だって座敷に上がって暖をとりたくもなるさ」


その皮肉に元親は苦笑すると
少し離れたところに座る猫に手を差し出した。
しかし差し出された手に警戒してか、猫は一歩後ろへと後ずさる。


「ほら、来いよ。こっちの方が暖かいぞ」


真っ直ぐ見返す猫の双眸と元親の眼が合わさる。
たじろぐ猫に元親は穏やかな笑顔を見せ、自らの傍へと招こうとする。
暫くの間猫は警戒を解かずにいたが、元親の屈託のない態度に安心したのか、
再びにゃあ、と一声鳴くと元親の膝へとあがり、丸くなった。




「へへ、可愛いなコイツ」


「・・・・・・・・」


膝で丸くなる猫を、欄干の側に立ったまま元就は見下ろしていた。






「アンタって、コイツに似てるよな」


灰色の毛並みを撫でながら、元親がふと呟く。


「我が・・・猫に?」


「そう、猫に」


突然の言葉に元就は眉を顰める。
当の猫は目を細め、その耳を上下させていた。



「俺に距離置いて近づこうとしないところ、さっきのコイツそっくりだ」


「・・・・・・・・・」



沈黙の後に続く、猫の喉を鳴らす音。
低く心地よく鳴る喉を、元親がそっと撫でた。


「アンタもこっちに来いよ、いつまでもそこに立ってると冷えるだろ」


振り返るその顔には笑顔があった。
先程にも見せた穏やかな表情。
今は自分にその表情が向けられる。




何故否と言えずにいたのか、その時はわからなかった。
その底抜けの明るさに、訳もわからず引き寄せられていく。



柔らかな衣擦れの音は、知らず知らずのうちに男の傍らへと近づいていった。




「ほらな、やっぱり冷えてるじゃねぇか」


風に晒された元就の手を元親がとる。
それは冷たさを拭うような暖かな手だった。



「・・・・手を離せ、馬鹿者」



他の言葉を忘れたかのように
小さな声でそれを言うのが精一杯だった。
いつもならすぐ振り払うはずの手が、それを出来ないでいる。
この男の膝で眠る猫も、傍らに立つ自分自身も
まるでその温もりの中に閉じ込められたかのように。



窓の外では雪が降り出す。
深々と冷える寒さの中、やっと振りほどいた手にはまだ温もりが残っていた。




春の訪れはまだ、遠い。






*4へ続く*
なんだかよく覚えてませんが
ナリの体温は低いといいなーとか、
猫っぽいナリは可愛いなーとか考えながら書いてた気がする。

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