饗宴の間の歓声が響く中、その言葉だけは耳にはっきりと残った。



「奇妙な事、ですか…」



「そう、ある一つの部屋でのおはなし…」



寄り添う彼女は、尚も蠱惑的に薬売りを見上げる。
その視線に答えるかのように、薬売りもまた妖しげな笑みを浮かべ問いかけた。



「それは、また面白い。是非、聞かせてもらえますかね…」



「ええ、勿論」



それを聞いた彼女は目をゆっくりと細めて笑うと、その口を開き始めた。




*       *       *




「…どこからともなく聞こえてくる音、ですか」



彼女の注ぐ酒を盃で受けながら薬売りは言葉を次ぐ。



「ええ、まるで何か軋むような、不思議な音」



酒を注ぐ指をしなやかに動かし、彼女はそれに答える。



「せやけど誰か他に部屋にいる訳でも、誰かが廊下を歩いてる訳でもなし、人知れずその音は響いてくるんよ…」



「なるほど、それは確かに面妖、ですね…」



そう言って薬売りは二杯目の盃を仰ぐ。
紫色に塗られた指が盃を置くと、彼女は居ずまいを正すと薬売りの正面に座った。



「そしてもう一つ妙なんはね、その音のした翌日、部屋のお客が消えてしまうこと…」



「…客が、消える?」



瞬間、薬売りの朱に彩られた目が細められる。
その含みを持った視線には気付かず、彼女は自らの言を進めていく。



「まるで最初から誰もいなかったみたいに忽然とね…」



「ほう……」



「妙なお話でしょう…?」



口元にしなやかな指をあて彼女は語る。
その口の動きを、仕草を薬売りは黙って見つめていた。



「しかもね、今晩薬売りさんがお泊まりになるんはそのお部屋…」



「………ほう」



「もしかしたら薬売りさんも消えてしまうかもしれへんね?」



「なんせ消えたお客さんは皆色男でしたから…薬売りさんの様な、 ね」



二人の瞳がかち合う。
向き合う二人の間に沈黙が訪れた。
それはほんの瞬間の沈黙だったが、傍目には確かな沈黙。
彼女の蠱惑的な瞳には、薬売りの縁取られた瞳が映っていた。
暫し薬売りの眼を覗き込んでいた彼女だったが、
ふと表情を緩めると、その顔を元の含みのない笑顔に戻した。



「……なんてね、質の悪い噂話ですよ」



そう言って笑うその声は心無しか弾んでいた。



「…露菊さんも随分とお人が悪い」



彼女の話す間沈黙を守っていた薬売りがようやく口を開く。



「でも客が消えてはるのは事実なんよ」



「おや…、そうなんですか?」



「でも皆さん大方揚代を踏み倒して逃げたんだろうって…まぁそんなことは時々起こる話やし、」



「せやから…薬売りさんも消えてしまわれたら困りますえ?」



そう言って彼女は笑顔で薬売りにもたれかかった。
彼女の纏う香の香りが鼻孔を突く、
傍にある彼女の温もりを肩に感じ、薬売りは静かに目を細めた。



「今夜は、ずっと側にいますさかい…」



「勿論、何処にも消えやしません、よ…」



饗宴の只中、その声は彼女にしか聞こえない微かな声だった。






>>>参
今更だけど遊廓の設定はかなりのご都合主義
毎度話の切りどころがおかしいのは最早仕様でorz