長い長い静寂の後――
意識がある、
体が動く、
靄のかかった様な視界の中、農夫は自身の生を悟った。
自分はまだ生きているのかとそっと目を開くと、雪に反射した光が差し込み、目が自然と細められる。
「……一体…何が、」
体を起こし、辺りを見回す。
そこは一面真っ白な世界、雪の降り積もった村だった。
辺りに聳える山も木々もいずれも見覚えのある風景。
ただ違うのは白い静寂の真っ只中に己がいること、
屋敷も村人も存在しない、いるのは只自分一人だけだった。
そして、
「………雪が…」
あれほど吹き荒れていた雪が止んでいた。
吹き抜けるような青い空に、照り返す白。
そして次第に視界の定まってきた眼前、男の目は白色の只中に立つ人影を見つけた。
「……薬売り…、」
思わずこぼれた声、
その声に薬売りと呼ばれた人影は振り向いた。
「…おや、御無事でしたか」
先刻と変わらぬ態度を見せる薬売り。
陽光を浴びて振り向くその肩手には剣が握られていた。
「俺は一体…、それに村は……」
「………――」
今ある状況を理解できない農夫は只呆然と言葉を吐き出す。
そしてそこに続くのは薬売りの静寂。
「……それに物の怪…、いや彼女は…?」
農夫の脳裏に意識を失う前の“彼女”の記憶が甦る。
物の怪の正体であった彼女、
ならばそれを斬りに来たというこの男は本当にそれをやってのけたというのだろうか。
ならば彼女は一体、
数々の疑問が男の頭の中で螺旋を描いていた。
「…斬りましたよ」
農夫の問いに静かに、薬売りが口を開く。
「彼女は消えた、彼女の恨むべき村も共に……」
出会った時の様に淡々と紡がれる薬売りの言葉、それを只農夫は聞いていた。
彼女の最期、村の末路、
聞かされる事実全てがまるでどこか別世界のことのように農夫の中に響く。
「…これでようやく、事が収まった」
振り向きざまにふ、と口の端を上げて笑うと、
呆然と座り込む農夫を横目に薬売りはその歩みを進め出した。
サク、と雪を踏みしめるその音に農夫の意識は引き戻される。
自分にはまだ聞かなければならないことがあった、
そしてそれを知り得るのは目の前にいるこの男しかいない。
そしてそれを知るのは今しかない―
「…ま、待ってくれ!!!」
その瞬間、農夫は衝動的に叫び出していた。
その声に薬売りの歩みが止まり、その体が向き直った。
「……何か?」
「…どうして…俺は生きている!?」
「彼女が恨んだのは村全てだろう?!なら何故俺は消えなかった!!!」
「俺だけが…たった一人ここに残って何になる!何故俺を死なせてくれなかった…!!」
その後はまるで堰を切ったように、言葉が吐き出されていく。
何故、と農夫の問いが譫言のように繰り返される間、薬売りは只黙ってその様子を見ていた。
そして農夫が全ての感情を吐露したその時、
「…貴方を生かしたのは彼女、ですよ」
おもむろに、薬売りが口を開いた。
静まり返る雪原の中、薬売りの声が凛と響く。
「何…?」
農夫が目を見開く。
「自分の死に涙してくれたのは貴方だけ、そう残してね…」
サク、サク、と
薬売りの、再び歩みを進める音が響く。
その音を聞きながら、農夫は告げられた事実に立ち尽くす。
自身に告げられた最後の事実は、最も驚愕すべき事実だった。
「そんな…俺にどうしろと言うんだ…俺は…、」
己は死すべき値の人間だと、
それ程の罪を犯した人間だと死の覚悟を決めた筈だった。
村も消え果てた今、自分の生きる世界も消え果てたのだと、
そう思っていたというのに。
だが、そんな自分自身を生かしたのは彼女なのだ。
「生きればいい、…そうでしょう、」
思いを巡らせ立ち尽くす農夫に、薬売りの声が降った。
「何……?」
「生きている限り世界は消えない、季節の巡らぬ時などないように。それに…」
「それが彼女の遺志でもありますから、ね…」
そう言って薬売りが再び口の端をあげる。
陽の差す雪原、
対峙する二人の間に、一迅の風が吹いた。
>>>八
次で終わります、多分。